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エッセイ
風を見ながら

8.ラジコン今昔物語:1974-2014

 筆者がラジコンに興味を持ったのは11才、1963年頃のこと。当時は、ラジコンは高嶺の花で、月刊誌『ラジコン技術』を買って読むだけ。それも、毎月は買えず、1冊を何回も何回も読んだ。

 最初にラジコン機を飛ばしたのは22才のとき、1974年。すでに無線機はプロポーショナル(プロポ)になっていて、価格も手ごろ、信頼性も高くなっていた。その頃から現在(2014)までの40年間の変化について、 まとめてみた。

1.バルサ・ヒノキからグラス・カーボン、EPP・EPOへ

 1974年頃は、ラジコン飛行機やラジコングライダーはバルサキットから作るのが主流。絹張りドープ仕上げやエンビ仕上げの機体が多く、当時、普及し始めたカバーリング・フィルム(スーパーモノコート、ソラーフィルムなど)を使うと、ベテランからは白い目で見られる雰囲気があった。

 それが、やがてグラスファイバーを使用した機体が作られるようになり、特にグライダーは、型でモールドされたシャーレ翼が登場し、現在ではカーボンクロス、アラミドクロス(ケブラー)を使った機体が普及している。

 一方、軽量な発泡素材を使った機体も大きく発展した。初期は、発泡スチロール(EPS)製で、強度不足でまともに飛ばず、クラッシュすると、文字通り、粉みじんになってしまうものが多く、「安物」の感が強かった。

 しかし、発泡素材は量産が可能なので、ドイツのグラウプナー、ロベ、マルチプレックスといった模型メーカーが長年、開発を続け、ノウハウも蓄積されて、入門機などに少しずつ、よい製品が出てくるようになった。また、グライダーでは発泡スチロール・コアに薄いバルサやアベチ薄板を張って主翼を製作することも普及した。

 やがて、ねばりがあって壊れにくいEPP(発泡ポリプロピレン)が用いられるようになった。筆者は2006年に、EPPに薄手の梱包テープを貼った無尾翼機を3機作って飛ばした。これは見た目はあまりきれいとはいえなかったが、軽くて壊れにくく、風にも強く良く飛んだ。そのうちの1機は、今も現役でフライトしている。

 さらにEPO(発泡ポリオレフィン)が発達し、製造方法も改善された結果、現在では手軽に、丈夫な機体が作られるようになり、「安くて丈夫」な理想的な機体がふえてきた。たとえクラッシュして壊れても、現場で簡単に修理でき、30分もあればフライト可能になる点も大きなメリット。バルサキットでは、こうはいかない。またEPOの機体は曲線が出せるために、スケール機に適していて、特に最近は第2次大戦レシプロ戦闘機や電動ダクテッドファンを内蔵したジェット機のスケール機が手軽に楽しめるようになった。

 自作派モデラーも、最近はスチロールコア、スチレンペーパーやデコパネなどの発泡素材で機体を製作することが多くなってきた。バルサ/ヒノキは少数派になりつつあるが、これが時代の趨勢というものだろう。

2.セメダインC・木工ボンドから瞬間接着剤へ

 1974年頃は、ラジコン機の製作にはセメダインC、木工ボンド、長時間エポキシ(セメダインスーパーなど)を使った。リブ組の主翼を組み立てる場合は、 接着剤が硬化するまで 、定板にマチ針でスパーやリブを固定しなければならなかった。

 瞬間接着剤(CA、シアノアクリレート系接着剤)の登場は画期的だった。スパーにリブを差し込んでおき、接合部に瞬間を一滴、たらすだけで、すぐに硬化するからだ。これによって、バルサキットの製作がスピードアップし、強度も高まった。

 エポキシ接着剤は、バルサキットの場合はエンジンマウントやカンザシ受けなど、強度を必要とする箇所に使用されたが、その後、発泡コアにグラスクロスやカーボンクロスを張るために使用されるようになった。また、最近ではEPP/EPOの機体の製作や補修にも使われる。

 ただ、エポキシ接着剤は硬化剤に毒性があり、瞬間接着剤も毒性があるので、長時間、作業をするのは好ましくない。完成機が安価に入手できるようになったこともあり、筆者は、現在ではこれらの接着剤の使用を控えるようにしている。

3.27MHzから2.4GHzへ

 1974年頃、ラジコンに認可されていた周波数は27MHz帯6バンド、40MHz帯2バンドで、筆者はしばらく27MHz3バンド(27.195MHz)を使用していた。変調方式はAMで、混信やノイズには弱かった。

 筆者が最初に購入したプロポは、27MHzのフタバFP-5DN。2スティック、トリム、チャンネル5のオンオフスイッチだけのシンプルなプロポだった。サーボのリバーススイッチもなく、当時は逆転サーボが販売されていた。

 やがて40MHz帯のバンドが拡張され、変調方式もFMとなり、安定性、信頼性が向上した。またPCM方式の登場によってさらに信頼性が向上し、フェイルセーフも可能となって、安全面でも大きく進歩した。72MHz帯が認可されたときは「ラジコン専用で、電波がよく届く」と話題になった。

 それでも、ラジコンには、常に「同じバンドを同時使用すると、ノーコンになる」という宿命があった。このため、クラブではバンド管理板などを用意して、同じバンドの電波が同時に発射されないように気をつかってきた。

 この状況を大きく変えたのが、2.4GHz帯を用いたスプレッドスペクトラム方式。送受信機が自動的に空いている周波数帯を検知して通信するため、混信の不安がなくなった。2.4GHzは指向性が強く、湿度に弱いため、当初はアメリカでまずラジコンカーで使用され、次いでパークプレーンなど、近距離で飛ばすラジコン飛行機に使われていたが、現在ではフルレンジ(到達距離1000m)となって、従来方式の40MHz、72MHzをほぼ駆逐した感がある。

 この40年間の受信機やサーボの小型化も著しい。筆者が最初に使用したサーボはフタバFP-S5で、確か35g。それでも、当時は最軽量のサーボだった。やがて20g台のミニサーボが現れ、9gとさらに軽量化され、現在ではインドア用には、1〜2gのサーボも存在する。受信機も、数10グラムから、数グラムに軽量化されてきている。この結果、4チャンネル操作で31gという、電動マイクロヘリが可能となった。

 最近では、送信機から制御するだけではなく、機体側から温度、バッテリー電圧、高度などのデータを送信するテレメトリーも実用化されている。

4.グローエンジンから電動へ

 1974年当時、送受信機の電源としてはすでにニッカドが使われていたが、メモリー効果についてはあまり理解されていなかった。まだ大電流放電に耐えるニッカド電池はなく、動力用には使用できず、ドイツで実験的な機体が製作されていた程度。動力の主流はグローエンジンだった。

 筆者が最初に飛ばしたラジコン機は、スカイカンガルーII(ムサシノ模型飛行機研究所)で、小学生の頃、Uコン用に購入したENYA 09-IIにキャブレターとマフラーを付けて搭載した。

 また、グローエンジンとしては小型のCox PeeWee 02、049を搭載した小型機や、モーターグライダーをいくつか作って飛ばした。

 やがてサンヨーがSCRシリーズのニッカド電池を開発し、急速充電と大電流放電が可能となり、電動カーや電動プレーン用の動力としての発展が始まった。それでも、当初はニッカドは重く、エンジン飛行機のグローエンジンに置き換わるだけのパワーがなかったので、翼面荷重の低いグライダーを電動化することから普及が始まった。モーターも当時はブラシモーターで、パワーを出すためにはかなり重く、大きくなってしまった。

 この状況が大きく変わったのは、ブラシレスモーターとリポ(リチウムポリマー)バッテリーの登場だ。ブラシレスモーターはブラシモーターに比べてはるかに効率がよく、ブラシレス・アンプ(ESC)とともに、まずドイツ、アメリカで製品化された。当初はブラシモーターに比べ、モーターもアンプもかなり高価だったが、急速に普及し、低価格化した。ブラシレス・アンプは、当初はモーターからのフィードバックのためのセンサーが必要だったが、すぐにセンサーレス化し、3本の線でモーターと接続するだけで使用できるようになった。

 またブラシレスモーターは、当初はインランナー方式(マグネットを装着したローターの外側にコイルがくる)で高回転タイプのため、大径ペラを回すためにはギアで減速する必要があった。やがてアウトランナー(アウターローター)方式が登場し、大径ペラのダイレクトドライブが可能となった。このブラシレスモーターとリポの組み合わせは、大型機や大型ヘリの性能アップに貢献しただけではなく、小型化にも大きく貢献した。

 リポ(リチウムポリマーバッテリー)は、軽量化と放電能力のアップにより、動力用電源としては、ニッカド/ニッケル水素電池をほぼ駆逐した。リポの放電能力は、当初は連続放電10Cで、大出力が得にくかったが、その後、20C、30Cと向上し、2014年現在では連続65C放電が可能と謳っているパックもある。これによって、電動へリはエンジンヘリなみのパワーで3Dフライトが可能となり、一方、インドアプレーンは、飛行重量15gで10分フライトできるまでになった。一般的な電動飛行機や電動グライダーも、かつてのエンジン機並み、いや、それ以上の軽快さで飛行するようになってきている。

 ソーラーパワーは1990年ごろ、スイス、ドイツで実験的にラジコンに使用されるようになった。わが国のラジコングライダーの草分けで、常に最新の技術を追求されていた故古川喜平氏の指導のもとに、筆者は1992年、主翼に貼り付けたソーラーセルで発電してニッカドを充電し、飛行する電動グライダー(機体は、アストロフライトのミニチャレンジャーをベースに小林章浩氏が製作)を飛行させた。しかし、使用したソーラーセルがもろく割れやすく、ほとんど飛ばすことはなかった。その後、古川氏は、バッファバッテリーなしで、主翼に敷き詰めたソーラーセルの発電のみで飛行する「鶴」を製作、飛行に成功されたが、この分野は、その後も実験の域を出ず、普及にはいたっていない。

5.パルスジェットからターボジェットへ

 筆者が小学生の頃、模型飛行機用のジェットエンジンとしては、長さ50cmほどのパルスジェットが存在し、主にUコン(コントロールライン、C/L)のスピード競技に用いられていた。パルスジェットは構造はシンプルだが騒音がけたたましく、またスロットルコントロールがあまり効かないので、ラジコン飛行機に使用されるのはごく稀だった。

・RCパルスジェット機の動画

 1990年頃から、ラジコン機に使用できるサイズの遠心式ターボジェットエンジンが開発されるようになり、電子制御で安定した出力制御も可能となって、本格的な実用化が始まる。また小型化も進み、2014年現在では、外形55mm、重量230gまで小型化された市販品(Lambert社のKolibri)も出てきており、ヨーロッパやアメリカではかつてのグローエンジン並みの手軽さで、ジェット機のフライトを楽しむマニアもいる。価格は25万円ほどと、まだ一般的ではないし、実物と同じジェット燃料を使用するので、墜落すれば火災を引き起こし、危険な動力だが、これがさらに小型化され、低価格化すれば、ラジコン用の動力として、一定範囲で使用されるようになるだろう。

・ターボジェットエンジンを搭載したRC機

6.自動制御の未来は?

 2010年、アップルのiPod、iPhoneで操縦できる4ローターヘリ、AR.ドローンが発売された。ジャイロセンサーによって水平を維持し、GPSで位置を検知して、一定箇所に留まったり、指定地点に自動的に帰還させることもできる。こうなると、もうこれは空飛ぶロボットで、空撮などに活用されている。

 しかし、このような自動化された飛行体は、ラジコンとしてのおもしろさには欠けるような気もする。やはり人間が自由に操縦できるのがラジコンだと思うからだ。ラジコンの操縦にはスポーツ的な要素もある。

 だから、仮に将来、サーマルの発生状況が視覚的に把握できるような装置が登場したら、サーマルソアリングはかえって面白くなくなってしまうだろう。

 ただし、ジャイロやGPSを利用して、ノーコン時の墜落を防いだり、緊急時に自動的に姿勢を維持して帰還するような機能は、安全上、普及することが望ましいだろう。

7.ドイツ・アメリカから中国・台湾・韓国へ

 1974年当時は、ラジコン先進国はアメリカとドイツ。特にラジコングライダーは、ドイツとアメリカが進んでいて、筆者もエアトロニクスなど、アメリカ製のキットをいくつか作った。その後、1990年頃に電動グライダーが普及すると、ドイツのグラプウプナー社のキットやモーターを使うようになった。特に、グラウプナーのスピード400(マブチ380相当)モーターは、手軽に電動グライダーや電動プレーンを楽しむ定番となった。

 筆者が最初にブラシレスモーターを使ったのは1999年、ハッカーのインランナーモーターB40-13Sに6.7:1遊星ギアを取り付け、コントローラーはコントロニクsmile 40-8-16だった。いずれもドイツの製品。

 さて、1990年ごろから、東ヨーロッパや東南アジア製の廉価な完成機が少しずつ出回るようになってきた。しかし、当初は「安かろう、悪かろう」の製品も多かった。それが次第に品質が向上し、今ではキットからサーボ、ジャイロにいたるまで、中国・台湾製品がかなり多くなってきている。

 しかも、当初は単に日本やドイツ、アメリカの製品のコピー製品を作っていたのが、最近では独自の製品も開発するようになってきた。たとえば小型電動ヘリのスタンダードとなったT-Rexを開発したアラインは台湾の企業だ。一方、リポバッテリーは当初は韓国がリードしていたが、今は中国製品が多くなってきている。

 もちろん、ドイツ、アメリカは依然としてラジコン先進国であり、ブラシレスコントローラーや3軸ジャイロはドイツ製品が信頼できるし、高性能でユニークな機体は、まず最初にドイツ、アメリカで作られることが多い。また、プロポは日本製が信頼できる。ただ、ふつうに楽しむ模型は、キット、モーター、アンプからリポバッテリーにいたるまで、中国製で十分、という時代になった。今後は、ブラシレスコントローラーやプロポも中国製が発展しそうだ。そして、その次にはインドがラジコンに参入してくることだろう。

8.ラジコンヘリの発展

 1974年当時は、空物ラジコンといえばグローエンジン搭載のスタント機が全盛の時代。一部のマニアがラジコングライダーを楽しんでいた。そしてラジコンヘリがそろそろ普及し始める時期だった。筆者は当時、一度、ラジコンヘリのホバリングを見たことがある。機体はアイレベルよりもやや上でピタッととまっていた。どういうわけか、この光景は今でもはっきり覚えている。パイロットの背中からは、極度の集中が感じられた。当時はまだテールジャイロはなかったはず。ものすごい操縦技量だったことだろう。

 その後、ラジコンヘリは大きく発展する。ひとつには、日本の技術力。機体からプロポまで、ヘリはラジコンの中でもっとも複雑だが、高度な技術力を誇る日本だからこそ、発展したといえる。もうひとつ、日本は、アメリカやドイツに比べると飛行場所に恵まれていないことがある。大型のラジコン飛行機を飛ばすためには滑走路が必要だが、日本では、整備された滑走路が使えるケースはそう多くはない。しかし、ヘリなら、ほんの数メートル四方のスペースで離着陸可能だから、飛行場所の自由度は、はるかに高い。こんなお国柄も、ラジコンヘリの発展に寄与したのだろう。そして、最後に日本のマニアの器用さ。複雑な機体を組み立て、微妙な調整を行い、さらに微妙な操縦をこなすためには、繊細な感覚と器用さが必要だ。

 ラジコンヘリはエンジンヘリから始まり、やがて電動ヘリも普及するようになったが、ラジコンの中でももっとも高額で、維持費もかかり、筆者には長い間、高嶺の花だった。それが2004年、ラジコンヘリメーカーのヒロボーさんからXRB-SRという小型室内電動ヘリが発売された。飛行重量200gで、自宅の狭いリビングでもホバリングができる。しばらく迷って、2005年に入手。

 その後、室内用のマイクロヘリの小型化と高性能化は、まさに目を見張るものがある。2014年現在、腕さえあれば、リビングで3Dが可能な可変ピッチマイクロヘリが市販されている。

 さらに最近はクワッド(4ローター)を中心とするマルチコプターが急速に発展してきている。上記6項でふれた自動制御によって安定して姿勢を維持し、GPSによって位置・高度をキープして空撮を行うモデルが人気を呼んだ。さらに、機体搭載カメラの映像をパイロットに送信し、パイロットがゴーグルでその映像を見ながら操縦するFPV(First Person's View)も普及してきた。2014年には、海外で比較的小型のクワッドをFPVで操縦して行うFPVレーシングが人気を呼んでいて、今後、世界的に流行する可能性がある。

FPVレーシング

 ただ、従来、ラジコンは「外部視点で操縦するホビー」と定義されており、アメリカではFPVをどう扱うか、議論を呼んでいる。また、FPVでは、当然のことながら、スケール機を自分で飛ばす意味がなくなる。

 筆者は、個人的にはラジコンは外部視点で操縦を楽しむもので、空撮やFPVは別物、という感じがする。

9.ラジコン・グライダーの発展

 1974年当時は、平地でのサーマルソアリングを楽しむ手段としてはショックコード(ハイスタート、バンジー)か、グローエンジンによるモーターグライダーのいずれかだった。アメリカのエアトロニクス社などの高品質、高性能のキットが輸入されていたが、けっこう高価だった。筆者が最初に製作したラジコングライダーは、ガルモデル(一条卓也氏)のアドラーII-B。スパン1.8mのバルサキットだった。日本の模型用ヒノキ棒やバルサ材は長さ90cmだったので、これをフルに使うとスパン1.8mとなって、無駄がなかった。しかし、この機体でサーマルをとらえて上昇させることはなかった。

 筆者が最初に20分超のサーマルソアリングを経験したのは、1986年、機体はドリフターII (Drifter II)だった。この機体は当時、アメリカで人気のあった軽量・低翼面荷重の機体で、ショックコードの曳航で高度がとれ、よくサーマルに反応する機体だった。ただし、風には弱く、4〜5m/sの風が吹くと、もう前進できなかった。

 この年、アメリカのトップフライト社の、市販キットとしてはおそらく最初のハンドランチグライダー、リストクラットWristocratを入手して製作、ハンドランチに挑戦したが、当時は槍投げ式(ジャベリン方式)で、筆者の腕力では高度がとれず、数十秒で着陸してしまう。結局、この機体は曳航フックをつけ、ショックコードで飛ばすようになった。

 その後、電動グライダーによって高度獲得が容易となり、サーマルに遭遇する率が高まり、長時間フライトが可能となって、筆者も1990年からは電動グライダーを楽しむようになった。

 1994年ごろに、1.5mハンドランチ機のブームがあった。この時もまだ槍投げ式の時代で、筆者はサーマルに乗せることができなかった。

 ハンドランチグライダーで画期的だったのは、DLG=ディスカスランチ・グライダー(円盤投げ、回転投げ)の登場だ。それでも、腕力に自身がない筆者はなかなか踏み込めず、ずっと様子を見ていたが、2008年、笹目水門付近でフライトされているみなさんのフライトを拝見しているうちに、自分でも飛ばせそうな気がしてきて、ようやく2009年からDLGを飛ばすようになった。手投げでスタートした機体がサーマルに乗って、点になるまで上昇していくのを見ていると、独特の気分になる。このちょっと不思議な気分が、ラジコングライダーの醍醐味なのだと思う。

・DLG

 ところで、ラジコングライダーのもうひとつのジャンルに、スロープソアリングがある。山岳地帯や海岸の高低差のある場所で、斜面に吹きつける風を利用して飛ばすもので、風がよければ、30分でも、1時間でも飛び続けることができる。これはドイツやアメリカでは盛んだが、日本では飛行場所が極めて少なく、ごく少数のマニアが楽しんでいるだけ。筆者も、長い間、スロープは未経験だったが、2002年から秩父の堂平山付近でスロープソアリングを楽しむようになった。

 スロープソアリングの近年の進展としては、ダイナミックソアリングがある。これは、山の尾根で、風下側でダイブさせて位置エネルギーを速度エネルギーに変換し、そのスピードを利用して再び上昇して高度を稼ぐ、というサイクルを繰り返すことによって次第にエネルギーを蓄積させ、高速飛行を行うもの。無動力のグライダーがかなりの高速で飛行するのがおもしろい。ラジコンの中で、もっともエコな、環境負荷の少ないフライトといえる。

・ダイナミックソアリング

 ラジコングライダーはシンプルなので、機体の材質以外はテクノロジーの発達とは縁がないように見えても、このように着実に進化し、ノウハウが蓄積されて高性能化してきている。模型航空機の原点でありながら、決して古くならないところが、おもしろい。

last updated: 2016.08.22

※本稿は、2011年に「ラジコン今昔物語:1974-2011」として掲載した記事を改稿したものです。

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