bogomil's CD collection: 026

バッハ:インヴェンションとシンフォニア
(1)チェンバロ編

Bach: Inventions and Sinfonias BWV 722〜801

 バッハの《インヴェンションとシンフォニア》BWV772〜801(以下「インヴェンション」)。ピアノを学んだことのある人なら、まずほとんどの人が弾いたことがあるだろう。そのためもあってか、国内版でもいろいろな演奏家のCDが発売されている。これらはチェンバロによるものとピアノによるものの2種類に大別されるが、まずチェンバロによる演奏をいくつか聴いてみよう(カッコ内は録音年とCD番号)[注1]。

(1)H.ヴァルハ(1961年) 東芝EMI TOCE-7531[注2]

バッハのオルガン作品の演奏で知られるヴァルハのこの録音は、チェンバロによるインヴェンションとしてはもう古い部類になってしまった。

 ところでチェンバロには「ヒストリカル」と「モダン」の2種類がある。チェンバロは15世紀頃から普及し始め、17世紀から18世紀前半にかけて最盛期を迎えたが、18世紀後半からピアノが急速に発展し、チェンバロは消滅してしまった。そして20世紀に入って再び作られるようになったのだが、この復活したチェンバロは当初、ピアノの製造技法を用いて作られた。これを「モダン・チェンバロ」と呼んでいる。

 これに対し18世紀以前の構造と技術で過去の楽器を復元する形で作られるようになったものを「ヒストリカル(歴史的)チェンバロ」と呼ぶ。現在ではこのヒストリカル・チェンバロが主流でモダン・チェンバロは消えつつある。

 このヴァルハの演奏はモダン・チェンバロ(アンマー)を使っているため、音色面では後述するヒストリカル・チェンバロとはやや異なっているが、演奏そのものは味わい深く名演と呼べるものだ。まあ、これは筆者が最初に聴いた《インヴェンション》がこの演奏だったことや、自分自身アンマーのチェンバロを弾いた経験があるため、多少愛着があることによるのだが「モダン・チェンバロによる演奏はダメ」と、この演奏を聴く前から決めつけないでほしい(筆者の弾いたアンマーはノイペルトよりはまともだった)。

(2)G.レオンハルト(1974年) BMGビクターBVCC-1863

 この演奏は1745年製の楽器を複製したものを用いて録音されている。「複製」というと「なんだ本物じゃないのか」と言われそうだが、ヴァイオリンなどとは違って、チェンバロの場合は必ずしも本物がよいとは限らない。前述のようにチェンバロは一度すたれた楽器なので、現存するものは少ない。多くの楽器がピアノに改造されたり捨てられてしまい、かろうじて装飾の美しいものが一種の骨董家具的な価値のために保存されたに過ぎないのである。

 現在では博物館などに所蔵されているこれらの楽器を、楽器として機能させるためにはかなり手を加えなければならず、また貴重なものだからおいそれとは演奏するわけにはいかない。そこで、それらの忠実な複製が作られるようになった。複製といっても、いわば新品だから、よくできた複製楽器は保存状態の悪い本物よりは、はるかによい音がすることもある。

 さてレオンハルトは演奏解釈の点でもヴァルハとは違う方向を目指している。バッハのチェンバロ作品といえば、インテンポで抑揚を抑えた淡々とした演奏が多い中で、レオンハルトはテンポを微妙にゆらしている。彼のこの一種の「ルバート」に対しては好き嫌いが別れるかもしれないが、チェンバロ演奏がしばしば陥りがちな単調さが感じられない点は評価するべきだろう。ただし細かい点だが、2声の第1番第11小節、上声の最後の8分音符を嬰ハ音(cis)ではなくハ音(c)で弾いているのはちょっと戸惑う。それなりの考えがあってのことだろうが、やはりドキッとしてしまう。

(3)E.ピヒト=アクセンフェルト(1983年) カメラータ・トウキョウ 32CM-273

 この演奏も歴史的楽器(1730年製の楽器の複製)を用いているが、演奏スタイルはまた独特で微妙なノンレガート奏法が耳につく。チェンバロの繊細さを強調した録音で、演奏とあいまって幾分、冷たさあるいは厳格さが感じられる。

(4)K.ギルバート(1984年) ポリドール POCA-2113

 (2)と(3)が複製楽器を使用しているのに対し、この演奏は1671年製の楽器そのものを用いている。とはいえ、1671年当時の姿ではない。1759年、1778年に音域が拡張され、1979/80年に修復されたものだそうだ。しかしこの楽器の音は驚くほどよく響く。保存状態がよかったことに加えて、すぐれた技術者によって修復されたのだろう。また録音も余韻、残響を強調し、ともすれば痩せてしまいがちなチェンバロの響きの欠点をうまく隠し、優雅で華やかな響きを聴かせている。演奏解釈は極端なところはなく、どちらかといえば「楽器に語らせる」といった感じで演奏家の個性はあまり前面に出てはいないように感じられる。

 音質、音色の点では、(4)がおもしろいが、「音楽」の点では、これら4人の演奏は甲乙付け難い。どの演奏も、それぞれ《インヴェンション》を楽しませてくれる。


[注1]かつてラルフ・カークパトリックがクラヴィコードで演奏した《インヴェンション》もあった(アルヒーフ)。CD化されていないようなので、ここでは取り上げなかったが、なかなか興味深い演奏だ。

[注2]Walchaのカナ表記は、「ヴァルヒャ」の方が原語の発音に近いと思うが、このCDでは「ヴァルハ」となっているので、ここではそれにしたがった。

93/9 last modified 02/6


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