bogomil's CD collection: 017

スメタナ:《ヴルタヴァ(モルダウ)》
——音楽によるマインド・コントロール

Smetana: "Vltava (Moldau)"

 スメタナの交響詩《ヴルタヴァ(モルダウ)》は、少なくともその主題はわが国でも大変、有名な曲といってよいだろう。この曲は文部科学省によって中学校「音楽」の鑑賞教材に指定されていたり、主題が歌や合唱に編曲されて音楽の教科書に載っていたりする。確かにこの曲は感動的だ。しかし河の流れを描いたこの曲が、どうしてこれほど感動的なのだろうか。

 この曲はボヘミアを流れる河ヴルタヴァを描写している。河の流れていく状況が具体的に説明されていて、あたかも舟下りをしているかのようにイメージすることができる。雄大な自然を音で表現している、ということだが、しかしどうもそれだけではないようだ。ビエロフラーヴェク指揮の1990年の録音*を聴きながら、この曲の標題と音楽が喚起する情景の意味を少し「拡大解釈」あるいは「深読み」してみよう。

 単旋律で始まる弱音の冒頭部分は水源を表現している という。これはすなわち「誕生」と「成長」を表していると解釈できる。次いで、あの主要主題が朗々と提示される。この主題はどちらかといえば真面目で真摯な性格を帯びている。決して軽薄ではなく、誠実さが感じられる。そう河が擬人化されて、ひとりの真面目な人物が聴く者の心の奥に姿を現すのである。そしてこの主題の本質的な暗さは、この人物の置かれた境遇が辛く、厳しいものであることを暗示している。この人物はおそらく男性だ。というのは次に狩の情景が描かれるからである。狩猟はほとんどの民族において男の仕事である。ここでわれらが主人公は幼年期から少年期を過ぎ、青年期にさしかかったようだ。

 次に人生の節目である結婚がくる。これは、まず岸辺で村人が踊る「婚礼の踊り」によって示される。家族や村人が集って結婚した二人を祝っているのだ。やがて人々は踊りに疲れ、夜を迎える。この後に続く静かな音楽は「柔和な月の光が水面を照らし、妖精が舞う」と説明されるが、感傷的で幸福感に満ちた音楽だ。これは愛し合う二人が夜、肩を寄せ合って眺める光景であり、この曲の中で唯一、優しさ、包容力、安堵感を感じさせる部分でもある。ここで主人公は心やすまる家庭を得る。

 しかし彼はこの幸福な家庭に安住することはできない。大きな試練が待ち構えている。そう、主人公は波乱の時期を迎える。大きな困難に直面することもあるだろう。民族的、政治的な動乱や戦争に巻き込まれることもあるだろう。いずれにせよ「聖ヨハネの急流」で主人公は流れと格闘し、翻弄され、ズタズタにされながらも、とにかく生き抜く。そしてヴルタヴァの主題が長調で高らかに提示される。主人公は最後には勝ったのだ。「プラハに達する」、すなわち大きな目的を達成したのである。

 この後、プラハ郊外の「古城」の主題が聴かれるが、これは民族的伝統を象徴すると同時に主人公が老年に達したことを暗示する。最後に河は流れ去る。河の流れを思わせる弦の旋律がディミヌエンドしていく・・・老兵もまた、年老いて消えていくのである。しかし、この老兵は老人ホームでグダグダ生きることはない。最後の2つの和音は、彼がきっぱりと死を迎えたことを示している。

 このところヨーロッパ、特に東ヨーロッパの政治経済情勢が混沌としているが、これは今に始まったことではなく、民族的、政治・宗教的に極めて複雑な背景がある。スメタナの生きていた時代、チェコはオーストリアのハプスブルグ家の支配下にあり、政治的・宗教的に迫害されて民族独立の気運が高まっていたという。スメタナ自身、義勇軍の一員として革命運動に参加したといわれている。彼にとってヴルタヴァは「祖国」の象徴であり、この曲は愛国心を鼓舞する音楽となっているのである。

 ここで初めて、曲の最後で主題が明るい長調に転じ、急速なテンポでしらじらしいほど躍動的になる必然性が明らかになる。この音楽は「愛国者は勝利する」という観念を極めて楽観的に表現しているのだ。苦しい境遇にある人々はまず冒頭の主題に自己を同化し、曲の推移とともに希望と生きる力を得ていく。ここまでは音楽の普遍的な効用だが、《ヴルタヴァ》の場合は、この感情が祖国を象徴する川であるヴルタヴァと結び付けられることによって愛国心の高揚へと明確に方向づけられるのである。日本の文部科学省がこの曲を教材にする理由もうなずけるというものだ。

 このような情動に訴える手法は、場合によっては言語による論理的な説得よりもはるかに効果的になる。そしてここが最大のポイントなのだが、本人はコントロールされたとは意識せず、あくまで自発的に、自由意志で愛国者になったと確信してしまう。音楽もまた、使い方によっては、「それと気付かれることなく」、人々を意のままにあやつる危険な力を秘めている。一時期、オウム真理教の「マインド・コントロール」が取り沙汰されたが、音楽はおそらく相当古くから、強力なマインド・コントロールのためのツールとして使われてきたのである。


*Discography:

スメタナ:連作交響詩《わが祖国》
ビエロフラーヴェク/チェコ・フィル

日本コロムビア COCO-9050

92/9 last modified 03/07


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