bogomil's CD collection: 002

ヴィヴァルディ:《四季》
——「四季」にもいろいろあるけれど

Vivaldi: "Le quattro stagioni"

 栗本慎一郎著の『間違いだらけの大学選び[疾風編]』(朝日新聞社刊)は、なかなか興味深い本だ。題だけ見ると大学受験生や受験生の父母を対象にしたものに思えるが、栗本氏の意図はむしろ現在の日本の大学の在り方に対する批判にあるようだ。特に一般に「名門校」、「一流校」とされている大学が歯に衣着せぬ筆致で評されている。

 たとえば私立の名門の某大学は「学生一流、施設三流、教授四流」。思わず苦笑してしまった。しかしこれは他人ごとではない。栗本氏は偏差値優先のわが国の大学受験のシステムによって、少なからぬ大学がその教育と研究の実態に比べて不当に高い評価を得てしまう、という現象を指摘しているが、音楽界にも似たような現象が見られるからだ。

 国際コンクールに入賞しただけで、あたかも「大ピアニスト」であるかのごとく喧伝される若手ピアニスト。どういうツテがあるのか知らないが、やたらにマスメディアに登場することで知名度が高まり、あたかも「大歌手」であるかのごとく扱われる女性歌手。大きな声ではいえないが、実力はさておきプライドだけは一流演奏家並み、というケースもあり、「プロは偉い」と思い込んでいる純朴な一般人が結構だまされたりする。いずれも不当に高い評価を与えられている、といってよいだろう。

 それでも若手の場合はまだ可能性があるから許せるとして、悲惨なのは過去の名声によりかかって実質はかなりひどいという、老朽化した演奏家や演奏団体の場合だ。たとえばヴィヴァルディの《四季》で日本にバロックブームを引き起こしたM合奏団。これまで30年にわたってほぼ隔年に来日しているが、ここ数年の凋落ぶりは目を覆うばかり、いや耳を覆いたくなるほどだ。

 1952年に結成されたこのグループ、これまで数回にわたってコンサートマスターの交替でなんとか陳腐化をしのいできたが、いかんせんメンバーの高齢化が進み、もう限界だ。にもかかわらず来日公演のスケジュールはすさまじい。93年来日の場合、9月28日の東京公演に始まり、11月4日までの37日間になんと33公演をこなしている。この期間中、公演のない日は4日しかない。しかも九州から北海道まで、日本全国を回っている。イタリア人はタフなのかもしれないが、しかしこんなスケジュールでまともな演奏ができるのだろうか。

 筆者の聴いた公演は来日直後のものだったが、お世辞にもよいできとはいえないものだった(この公演に関してはそれなりの理由もあったのだが)。ソリストはそこそこに気合が入っていたが、バックのアンサンブルがダメ。音程も悪く集中度に欠けるものだった。それでも「四季といえばM合奏団」ということで聴きにくる人も多いのだろう。中には質の落ちた演奏を聴かされても、「M合奏団の演奏だから、いい演奏に違いない」と思い込んでしまう、お人好しのファンさえいるのかもしれない。

 来日する演奏家、演奏団体の中には、明らかに本気で演奏せずに「適当に流している」例も見受けられる。そういった面はM合奏団にもあるが、しかし仮に彼らが本気を出したとしても、もう限界ではないか、と筆者は思っている。ピークをはるかに過ぎたM合奏団の演奏は高い入場料を払ってまで聴くに値しない。日本人の定番好み、ブランド指向の悪い側面が象徴されているようで、聴き終わった後筆者はなんとも複雑な気分になった。音楽を聴く耳を持っている人なら、たとえクラシックにはなじみがなくても、おそらくM合奏団の演奏に首を傾げ、こう感じるのではないか…「クラシックと偉そうなことをいったって、大したことはないじゃないか」。

 どんな名演奏家であろうとも、人間である以上精神的にも肉体的にもいつの日か老いる。聴く側の私たちも、老いる。そしてかつて自分の愛した演奏家が老いていくのを見る、ということは自分自身が老いていくのを見ることにつながるのだろう。これはこれで、感慨深いことだから、M合奏団を、あるいは彼らの《四季》を回顧的に聴く人に対して、筆者は何も言うことはない。しかし将来のある若い人や、これから《四季》を聴こう、という人にはM合奏団の演奏は薦められない。もっと別の《四季》に、新しい《四季》に目を向けてほしい。

 ということで、今回はアンドリュー・パロット指揮のタヴァナー・プレイヤーズによる演奏を紹介しよう*。ただし誤解のないように付言しておくが、この演奏が「現在、最高だ」などという意味ではない。たとえば、この演奏は比較的テンポのゆれが大きい部類に属する。で、これを心地よい表現と聴くこともできるが、ちょっとやり過ぎ、納得がいかない、という方もおられるかもしれない。しかし同じ春でも年によって少しづつ趣きが異なるように、ヴィヴァルディの《四季》もいろいろあっていいはずだ。これはあくまでひとつの《四季》に過ぎない、ということだ。


*Discography:

ヴィヴァルデイ/“四季”
パロット/タヴァナー・プレイヤーズ
東芝EMI、TOCE-7601

94/02 last modified 03/07


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